新しい日々

ひっそりと赤裸々に

離婚理由の1つであっても全てじゃない

こんにちは。

 

東京オリンピックの年に離婚を決意しました。
離婚に至るまでのあれこれを赤裸々に書いていきたいと思います。

一部、記事の内容で知り合いに私だと分かってしまいそうな記事の時には、codocの有料記事システムなどを利用して書いていくこともあると思います。

どうぞよろしくお願いします。

 

■別居はじめました。
→ 前回の記事:別居にかかった費用
→ 今回の記事:離婚理由の1つであっても全てじゃない
→ 今回の内容:何をもって「夫婦」というのだろう
→ 次回の記事:別居や離婚を考えたらまずは断捨離

 

 

離婚に至った理由は幾つもある。


詳しくはまた後日に書くとして、

例えば、結婚15年にしてレス歴14年だったことも、理由の一つだった。

 

私は子供が欲しかった。

だから、レス歴が長くなっても会話の途中に「子供が幼稚園になったらここに通うのかな」とか、
「小学校はここだね」、「男の子がいいな」といった主張は時折していたのだけど、
完全スルーで、3年も経つ頃には拒否されていることを自覚していたので、
私達の性格上、「話し合い=離婚」の図が思い浮かんで、彼とそれについてちゃんと向き合わずにいた。


そして、結婚して7年ほど経った頃には、ちょっとした出来事から、完全に子供を作ることを諦めた。


それからは、子供がいなくても夫婦は成り立つと思って、前向きに過ごす時もあれば、
いろんな疑問が湧き出て、離婚を考える日もあった。

けれど、
それが離婚理由の1つではあっても、メインではない。


ただ、夫婦って何を持って夫婦というんだろう?

と、何度も考えた。

 

私にとってのここ数年の結婚期間は、国の契約書に基づいた「家政婦契約」としか思えなかった。


離婚に至ったからには、もちろん私にも問題はあったと思う。
だけど、絶対に私だけが原因ではない。

彼の周囲は今頃きっと、100%原因は私と思っているのだろうけれど。


「余計なお世話ですよ~~~」とこっそり思う。
ほんと、本人たちに言うことは絶対にないけれど。

 

そうそう、離婚を考え直さないか?と言って続いた彼の言葉は、
「よしの(私)は子供が欲しくないと思っていた」
でした。

・・・15年意思疎通出来てなかったんだね。
呆れたため息しか出ませんでしたよ?


離婚について話し合った時間は、
私にとっては「やっぱり離婚を決めて正解!」という確認の時間になったのでした。

 

今日もお越しくださりありがとうございました。